「自分の音楽を演るのに、年齢は関係ない」

タクシー・サウダージさん

あなたに、期待して下さい。INTERVIEW this is japan.を生み出しているみなさんの「自分に期待できるようになった」エピソードを日経新聞広告紙面とWEBにてご紹介いたします。

今、音楽シーンでにわかに注目を集める、いぶし銀のボサノヴァミュージシャン、タクシー・サウダージさん。
生まれ故郷の埼玉県秩父市でタクシーの運転手として働きながら、60歳でCDデビューを果たした異色の経歴の持ち主です。
その生き様は波乱万丈。10代の頃に、フランスのシンガーソングライター、ジョルジュ・ムスタキの世界観に影響を受け、
ギター1本で秩父を飛び出し、日本国内や海外を放浪。そして20歳の時に、“ボサノヴァの神様”と呼ばれるジョアン・ジルベルトの音楽に触れ、
大変な衝撃を受けて以来、街から街へと放浪しながらもボサノヴァという「異国の音楽」と向き合い続け、独自のスタイルを生み出していきます。
決して平坦とはいえない人生を歩み、39歳で帰郷。その後、タクシー運転手を生業とした平凡な日々。
しかし、彼はハンドルを握りながら、常に音楽への熱い情熱を忘れることはありませんでした。
仕事の合間に車のトランクからギターを取り出しては、自身の音楽を追求し、還暦を迎える年にCDデビューを果たします。
世間一般では“引退”とされる年齢で、彼はついに自分の音楽を––40年以上、追求し続けてきた音を––世間に知らしめることができたのです。
なぜ、サウダージさんは自分自身に期待し、音楽を続けられたのか。「人生はまだまだこれから」と語る彼に、インタビューしました。

20代、30代、40代…… 自身の音楽と向き合っていたら年を重ねていた

まずは、サウダージさんがデビューに至るまでの半生、特に音楽との出会いについてお聞かせください。

物心ついたときから、音楽に興味はありました。子供の頃から、楽譜も読めないのに、拾ったギターを弾いたりしていたんです。
本格的に音楽にのめり込むようになったのは、高校生の頃に、イギリスのプログレッシブ・ロックを聴くようになってから。
なかでも、キング・クリムゾンと、ムーディー・ブルース、この2つのバンドには夢中になりました。
そして高校生活も終わりに差し掛かった頃、兄の影響で、フランスのジョルジュ・ムスタキやジョルジュ・ブラッサンスの音楽を知ったのですが、
これが僕の人生を狂わせました(苦笑)。すごく心に沁み込んで来るものがあって、「こういう世界があったのか」と、すっかり惚れ込んでしまった。
音楽性はもちろんですが、歌詞に込められた人生哲学や、彼らの生き様にまで影響を受けたんですよね。
19歳で秩父を離れたのも、ジョルジュ・ムスタキの世界観、ボヘミアン的な生き方への憧れもありました。

ジョルジュ・ムスタキに憧れて放浪するようになったと?

そうですね。彼の“言葉”に素直に従うなら、「ここにいてはいけない」と思うしかなかった。
で、ギター1本持って飛び出して、とにかく北に向かいました。あの当時、街を捨てて向かうべき場所は「北」だったんですよ(笑)。
最終的には北海道に辿り着いて、しばらく住むようになります。その後は京都、ブラジル、インド、東京、沖縄……行く先々でアルバイトしながら、
ヒッチハイクで旅を続けて、定職に就かない、その日暮らしの生活を送っていました。
土木作業員や運送、ウエイター、野宿や路上生活をしたこともありましたし、一時期はパン屋でパンの耳を貰ってきて、それで空腹をしのいでいたほどです。
全然、褒められたようなものではないです。

そんな日々でも、音楽への思いは絶やさなかったのですね。

ええ。どんなに生活が苦しくても、ギターだけは手放さなかったですし、音楽に対する追求心は常に持っていました。
ただ、ちょっと理解されづらいかもしれませんが、プロになろうとか、有名になりたいとか思って音楽をやっていたわけじゃないんですよ。
もちろんライブ活動などはしていましたが、ひたすら「自分の音楽を作りたい」、その一心でやっていたんですよね。

“音楽に対する追求心”とは具体的にどのようなことを指しているのでしょうか?

響き、リズム、そして歌……この3つを融合させることです。特に30歳頃から、ボサノヴァを日本語で歌うようになってからは、
当時はそんなことやっているアーティストもいなかったので、自分自身と向き合うことが多くなりました。
客観的な評価基準であったり比較するものがないから、自分を納得させるしかないんだけど、それがなかなか納得できないんですよ。
そうやって、ボサノヴァのメロディやコードに日本語を乗せることを追求し続けるうちに、知らず知らずのうちに年をとってました(笑)。

人生を変えた運命的な出会い、そして60歳からの挑戦

そんな放浪の日々を続けた末、40歳を手前に、ついに秩父へ戻られることになったわけですね。

39歳の頃です。およそ20年、文字通り放浪し続け、秩父に戻ることを決めた際は、「自分の青春はもう終わったんだ」という感覚がありました。
それでも、音楽を止めようとは思わなかった。これは僕の生活そのもの、生きる道そのものでしたから。
最初の10年ぐらいは、タクシー運転手をしながら、ずっとギターを弾く毎日。
お客さんを乗せていないときは、時間を見つけては練習して、自分のスタイルを模索していましたね。

もはや売れたいとか、音楽で食っていきたいとかではなく、その道を極めたい……そんな感じでしょうか。

それに近いと思います。だけど、そんな日々が10年ほど続いた50代半ば頃でしょうか。
「もういいかな」という気持ちになっていったことがあったんです。
“飽きた”というわけではないのですが、やり尽くしたような心境になっていたのかな……。
これ以上やっても、高みに行くことはないのではないか、みたいな焦燥感もありました。
もちろん、タクシーのトランクには、ギターを積み込んでいましたが、段々とトランクから出さない日の方が増えていきました。

40歳で「青春」が終わり、50歳であんなに好きだった音楽とも距離が生まれ始めた。
言い方は悪いですが、ゆっくりと人生が萎んでいくような感じだったのでしょうか。

僕としてはそんな意識があったわけではないけど、今思うと、そうだったのかもしれない。
そんなとき、50代半ばくらいで偶然出会ったのが、笹久保伸(ささくぼ しん)という青年でした。
「秩父前衛派」として知られる秩父在住の若手ギタリストです。たまたま、コンサート帰りの彼が、僕のタクシーに乗ったんです。
話を聞くとギターをやっていると。もう、すぐに意気投合して、彼から自作のCDを貰ってね。
で、聞いたときに「こんなスゴいヤツが、秩父にいたのか!」と驚きました。
その後、仲良くなった彼は僕に「梅沢さん(※タクシー・サウダージさんの本名)もCD出せばいいのに」みたいなことを、サラッと言うわけですよ。
どんな言葉だったか覚えていないけど、かなりラフにね(笑)。
自分の子どもぐらい歳の離れた彼の“軽い言葉”に、僕の心はひどく揺さぶられました。
50代になり、「自分はもうやりきった」と納得しようとしていたけど、それは自分へのごまかしだった……
心の奥底では、まだ満足しきれていなかったことに、彼の言葉で気付かされたんです。
僕は、再び自分の音楽と向き合う決心をしました。

そこで笹久保伸さんに出会ってなかったら「タクシー・サウダージ」は誕生してなかったのですね。

はい、本当に運命的な出会いです。若い頃に、いろいろ旅をして思ったのですが、
たとえ世界の果てに身を置いていても、人生において、会うべき人とは、出会うべくして出会うものだと思うんです。
どんなに近くにいても、会うべきタイミングでなかったら、すれ違ってしまう。
私にとっては、(笹久保)伸との出会いがまさにそう。
たとえ20歳でも60歳でも、人生を変えるような出会いは起こるし、
人それぞれベストなタイミングで出会うと思うんです。

そして2014年、『Ja-Bossa』というアルバムをリリース。
60歳でのCDデビューには、周囲の方も驚かれたのではないですか?

よく年齢のことを言われるんですが、そんなことは関係ないと思うんですよ。
20歳でデビューしようと、60歳でデビューしようとそれは同じこと。
たとえばブラジルでは、60代、70代でCDデビューする人がざらにいます。
そのタイミングが早かろうが、遅かろうがそれはどうでもいいことで、僕の場合は60歳がたまたま出すべき時だったということだと思うんです。

また、映画でもドラマでも現代演劇でも、歌舞伎以外の表現の世界に触れてみたいですね。
そこで活躍している同世代の人から刺激を受けてみたいし、新しいものをやってみたい。
とにかく、いろんなことに挑戦したい気持ちはあります。

とはいえある程度年齢を重ねてからの“再チャレンジ”は結構、大変なこともあったのではないですか。

それはもちろんありました。ギターのテクニックを取り戻すことも、また人前で演奏することもかなり苦労しました。
特に秩父に帰ってきてからは、タクシー仕事の合間に独りで弾いていただけで、ライブ活動なんてしてませんでしたからね。 20数年ぶりにライブに引っ張り出されたときは、正直怖かったですよ(苦笑)。
ラジオやテレビに出演するのも、初めての体験ですから、本当に勇気がいりました。
以前の私なら、とてもじゃないけどできないと、あれこれ理由をつけて逃げていたでしょうね。

しかし、サウダージさんは逃げなかった。なぜですか?

これも挑戦じゃないかって思えたんですよね。これは与えられたハードルだと。だったら飛び越えてやろうじゃないか、とね。
それが、自分の人生に向き合うことだと思うんです。
僕はどんなしんどいことがあろうとも、自分の心が頷くまでは、自分の音楽を追求し続けていきたいんですよ。
ホント、ただそれだけなんです。