あなたに、期待して下さい。INTERVIEW this is japan.を生み出しているみなさんの「自分に期待できるようになった」エピソードを日経新聞広告紙面とWEBにてご紹介いたします。

歌舞伎俳優 片岡千之助さん

「圧倒的な存在感を持つ“型破り”な役者になりたい」

今、歌舞伎界が熱い眼差しを向ける16歳の歌舞伎俳優・片岡千之助さん。
重要無形文化財(人間国宝)でもある十五代目片岡仁左衛門さんを祖父に、ドラマや映画でも活躍中の片岡孝太郎さんを父に持つ、歌舞伎界の期待の星です。
ある歌舞伎関係者は、千之助さんについてこう評します――「あの若さにして、彼は歌舞伎に向き合い、また強い信念を持って舞台に上がっている」。
たとえば11歳の時に実現したという、祖父・仁左衛門さんとの『連獅子』。
親子で演じられることも多い同演目ですが、千之助さんは仁左衛門さんに“直訴”し、本興行では戦後初となる祖父と孫による連獅子を実現させます。
また12歳からは、祖父の反対を押し切りつつ自主公演『千之会』を開始。これも歌舞伎界では極めて異例のことだといいます。
正統派であり、ある意味、異端。伝統を重んじつつも新しいことにチャレンジする。
どうして千之助さんは、慣例やしきたりが重視される歌舞伎界において、自分の信念を曲げずに、前例がないことをやり遂げることができたのでしょうか?
自分の可能性を信じ、自ら行動し続ける千之助さんに、お話を伺いました。

「絶対にやると決めたことだから、やる」という覚悟

初舞台の記憶はありますか?

3歳の時に初お目見得して、4歳で初舞台を踏んだのですが、ずっとニコニコしていたのを覚えています。
とにかく舞台に出るのがうれしくてしょうがなくて、本当は笑っちゃいけない場面なのに、もうずっと笑顔でいましたね。

上方歌舞伎の名門、片岡仁左衛門家(屋号は松嶋屋)に生まれたこと、重い伝統を背負っていることなど、
自身の宿命について悩んだことはありませんでしたか?

そのような悩みはほとんど一度もないです。歌舞伎は、僕にとっては自分の人生そのもの。
“歌舞伎の家”に生まれ、小さい頃から歌舞伎が身近にあるのが当たり前の環境でしたから、
この世界で生きることを迷ったり、悩んだりしたことはありません。

11歳の時には、祖父の仁左衛門さんと『連獅子』で共演されたそうですね。

物心ついた頃からすごくやりたくて、
「オーパ(祖父・仁左衛門さん=大きいパパの略)と一緒に『連獅子』をやりたい」って常に言っていたんですよね。
8歳の時にはお手紙も書いて、強くお願いしました。

だけど、長年の夢が叶って、いざ稽古が始まると、初めて祖父の怖さ、厳しさを知らされることになりました(苦笑)。
稽古は本当に厳しくて、あんなに「やりたい、やりたい」って言っていたのに、生まれて初めて舞台が嫌になってしまって。
『連獅子』のストーリーそのまま、親獅子から谷底に突き落とされた子獅子になった気分でした。

その翌年には、自主公演『千之会』を開催されています。

12歳の時ですね。その時々の自分にとってベストな演目を周囲の方々に相談し、決めていきました。
決して自分1人の力ではなく、ご指導くださる先生方、スタッフの皆さん、
そして僕の成長過程を見守り続けてくださるお客さまのおかげで開催できたことです。

12歳での自主公演というのは、歌舞伎界ではかなり異例のことだと伺っていますが。

そうかもしれません。が、様々な自然の流れの中で気づいたらやるしかない! という気持ちになっていました。
歌舞伎界は、伝統や慣習を重んじる世界ですし、周囲と足並みを揃えることも大事。
ですから、もちろん祖父からも反対されました。それは理解していますが、僕はそれでもやりたかった。やらせて頂きたかった。
精一杯僕なりにやり遂げる姿を認めてほしかった。結局、自主公演は過去3回やらせていただきましたが、
毎回、祖父とは「やめなさい」「いや、やらせてください!」の繰り返しです(苦笑)。

反対や批判があっても、どうしてもやりたかったわけですね。

それが僕の「覚悟」です。 もし、これが僕の演技や舞踊といった「芸」に対しての批判なら、それは素直に耳を傾けますし、真摯に受け止めて稽古に精進します。
でも、『千之会』を開くことへの反対に対しては、もう「やる」って決めたことですからやるしかない。
『千之会』をやることは僕の信念ですから、どんなに反対されても、絶対にやめたくないんです。
祖父は反対しつつも、毎回観に来てくれていて、特に2回目の公演の時には「感動して涙が出た」とまで言ってくれ、
3回目のときは、始めて女形への挑戦だったのでリハーサルにまで駆けつけて来てくれ、お化粧まで手直ししてくれました。
僕にとっての大切な思い出です。祖父の想いに感謝しています。

舞台の上で、プレッシャーや不安を感じることはありますか?

幕が開いた瞬間、底が見えない深い海に、独り放り出されたような感覚を持ったことはあります。
誰かが助けてくれるわけではないから、そこでもう腹をくくるしかない。いつからか、自然にそう思えるようになりました。

あと僕はサッカーが好きなので、本田圭佑選手の言動はいつも注目しています。
自分であえてプレッシャーかけて、有言実行する力は、文句なしにすごいと思うし、僕もそういう力が欲しい。
全く違う世界の方ですけど、そういった気持ちの強さ、確固たる信念、
さらに“自分の仕事”への取り組み方など、見習うところはたくさんあります。

歌舞伎はもちろん、色々な可能性にチャレンジしたい

歌舞伎の枠を超えて、新しいことをやってみたい意欲もありますか?

それはあります。勘三郎のおじさま(十八代目中村勘三郎さん)がなさったような“型破り”な歌舞伎————
東京・渋谷で若い観客を熱狂させた「コクーン歌舞伎」や
海外の演劇ファンから絶賛された海外公演のような挑戦———にとても憧れています。

関西に生まれながら上方歌舞伎を守りつつ、江戸歌舞伎までこなす祖父や父の影響はもちろんですが、
僕が幼い頃から一番刺激を受けたのは、勘三郎のおじさまなんです。
僕が(祖父と)『連獅子』をやりたいと思ったのも、
3歳の頃に、勘三郎おじさま(※当時は勘九郎)親子が演じたのを観て、すっかり魅了されたのがきっかけ。
エンターテインメントとしての歌舞伎の面白さ、楽しさ、格好よさを教えてくれたのが勘三郎のおじさまでした。

僕が9歳のときに『鏡獅子』胡蝶役で共演させていただいたのですが、まさかあれがご一緒させていただく最後の舞台になるとは思いませんでした……。
本当に今でも、「どうしてここに勘三郎のおじさまがいないんだろう」と思ってしまいます。

尊敬する勘三郎さんがなさったように、海外公演もやってみたいですか?

それは絶対やりたいです。
国境を越えても歌舞伎というものをご覧いただき、お客さまに喜んでもらいたいという気持ちはあります。
たとえば、舞踊のような身体表現なら、言葉の壁を超えて少しでも感動していただけるのではないでしょうか。

また、映画でもドラマでも現代演劇でも、歌舞伎以外の表現の世界に触れてみたいですね。
そこで活躍している同世代の人から刺激を受けてみたいし、新しいものをやってみたい。
とにかく、いろんなことに挑戦したい気持ちはあります。

歌舞伎以外のフィールドで活躍したいと。

自分が格好いい、面白い、と思ったのは何でもやりたくなっちゃうんです。
欲張りなのかもしれませんね。
僕は歌舞伎界に限らず、僕らしくいつか何かでナンバーワンになりたいし、その先に圧倒的な存在感を持つ役者に憧れます。
高校生の今だからこんな無謀なことが言えるのかもしれませんね (笑)。

でも、たくさんの先輩方のお言葉ですが、「型破り」っていうのは、まず型がないと型破りになりません。
だから、今はその「型」を少しずつでも習得し、歌舞伎の世界でも“古典”と言われるジャンルを学び、
自分の血肉にするために、しっかり稽古する時期だと思っています。
そして、人としての基礎を学ぶために今はあと少し学生生活優先させながら、できうる稽古、そして舞台を務めさせていただくつもりです。

そして、いつかはたくさんの場数、体験を活かし、唯一無二の歌舞伎役者になりたいと思っています。